知っておきたい診療報酬基礎知識

診療報酬の「基本」を分かりやすく解説!

診療報酬の歴史を紹介

これまでの歴史

これまでの歴史

診療報酬体系が「いつ」「どのように」成立したのかを確認していきましょう。診療報酬制度が普及する前は患者さんが全額治療費を支払わなければなりませんでした。そのため、治療が受けられない貧困層の人たちを救済する目的で健康保険制度がスタートしたのです。

基礎となったのは職工保険

基礎となったのは職工保険

健康保険の礎となったのは労災の救済を目的とした職工保険です。職人以外のすべての人が利用できる制度に発展させたのが今の健康保険ですが、国が健康保険を制度化したのは大正時代末期です。

点数表を作ったのは医師会

点数表を作ったのは医師会

このときの条文によると、国が支払う報酬からまずは公立病院と薬剤師が公定額を受け取り、その残りを開業医と私立病院などの日本医師会に支給される仕組みになっていました。日本医師会は政府から一括して貰った診療報酬を医師会員に分配しますが、分配する方法として考え出されたのが「点数表」です。現在の点数表の原型を作ったのは日本医師会、といえます。項目ごとに点数を付け、支給総額に収まるように1点の金額を定めました。今考えても実に合理的なシステムです。

戦時中にできた骨組みが現在まで続いている

戦時中にできた骨組みが現在まで続いている

国と日本医師会との間で交わされた契約は、当初1年ごとに見直すものでした。しかし、戦時下であった昭和16年に当時の内閣が戦時の統制経済政策の一環として、1年ごとに見直す医師会との契約を一方的に廃止してしまったのです。その後診療報酬は厚生大臣の告示によって定めるものされ、日本医師会が決めた点数表を政府が定めるという形で国家を統制しました。戦後、GHQが医療制度改革を指示しましたが、保険制度改革には手を付けませんでした。戦時中にできた診療報酬支給の骨組みは改正されることなく現在まで続いているのです。

「国民皆健康保険」がスタート

「国民皆健康保険」がスタート

昭和36年に「誰でも」「どこでも」「いつでも」保険医療を受けられる「国民皆健康保険」が開始されました。しかし、日本医師会は制度改革が不備なまま開始するのは時期尚早だとして強くこれに反対しました。なぜなら、国は点数配分に手を加えるばかりで抜本的な医療制度改革を棚上げにした状態だったためです。
利益誘導による病院優先策が病院の乱立を招き、医療費の増大へとつながったのです。病院側は空きベッドをなくすために生活困窮者や老人に何とか病名を付けて入院させたり、投薬や検査の回数を増やしたりして収入を上げていました。

地域ごとに必要経費は異なる

地域ごとに必要経費は異なる

国が定めている健康保険は一律的なものですが、地域によって必要経費は異なるため国が決めた診療報酬では即さない場合もあります。そうならないためには、各自治体が自主的に診療報酬を決めるべきですが、医療利益の一元化が崩れ、国が統制できなくなるとして進んでいないのが現状です。

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